『農業全書』 現代語訳

宮崎安貞編纂

貝原樂軒册補

東京學友館

明治二十七年十月十五日発行

農業全書自序

まず世間の物事には、必ず「基本」があり、それから派生して、「バリエーション」というものがあるのです。何事も「基本」に従って行えば、素直にして物事は成功しやすいし、「バリエーション」から始めてしまうとなかなかうまくいかないものです。

総じて、昔の偉い人が目指した「政治」というものは、民衆を教育し、またその生活を安楽に養うこと、この二つのことを目的としたものです。

農業技術とは、民衆の安定した生活を築くこと、これがその「基本」なのです。農業技術に詳しくなければ、人が食べていく基本的な生産物である五穀(米・陸稲・麦・小麦・蕎麦・粟等々)の収穫が少なくなってしまい、民衆の安定した生活を築くことはできません。

親孝行をし、年長者に良く従う「孝弟」の道は、民衆を教化する「基本」です。この「孝弟」の道の教えがなければ、人としての倫理は明らかになりません。人の道が立たず、まるで獣と同じような生き方になってしまいます。

だからこそ、徳をもって天下を治めた理想的な王様と言われた古代唐土(もろこし)の尭舜(ぎょうしゅん)の時代には、民衆に農業技術を教えた后稷(こうしょく)を農業長官に任命し、契(けつ)という人物を教育長官に任命して世間の人々に人倫の道を教えたのです。

このようなわけで、民衆の生活は豊かで安定し、倫理道徳の道も広く世間に伝えられたのです。

だからこそ、尭舜の「政治(まつりごと)」は、いつの時代においても、世界の王道(徳のある王が治める世)の模範とされているのです。

そんなわけで、太古の昔より、代々の聖王賢君は、天下国家を治めるのに、必ず、農を奨励し、農業技術を教えることを第一番目の課題とし、それから人としてふみ行うべき人倫の道を正すことを「基本」としなかった聖王賢君はいないのです。

さて、人倫の道は、上層の人々の間で実践され、同時に下層の民衆には、多くの人が書物をもって教えます。

しかし、農業時術に関しては、中華から多くの書物が伝わっていますが、我が国の農民は、特に文字が読める者が少ないので、その技術を学ぶことができません。

また、人倫の道を学ぶ人々も、農業技術に関しては、その専門ではないので、民衆に技術を教えることをしませんでした。

昔の日本の賢君の多くは、農業を重要な事と考えてはいましたが、農業技術を指導するような書物は伝えられていません。

そんな訳で、農法が世間に詳しく伝えられていません。

それに、現代(江戸時代前期)は平和な時代となり、政治は隆盛を極めていますが、農業技術に関する限り、いまだに農民がその技術を利用できないでいるのは、ひとえに、文字を読めない民衆が農業技術書を読目ないままでいるからなのです。

これが、農業技術が世に広まらない理由でしょう。

古代は、人口も少なく、かつ衣食も質素だったので、その食糧も少なくて済んでいました。民衆にも生活にゆとりがあったので、農業に勤しみ、基本に忠実にやってこれました。昔からの教えを忠実に守り、また人口も少なく、五穀も豊穣で、民衆の食糧事情は安定していました。

しかし、近世になって、農業技術は昔のままにも関わらず、食糧を費やす人口は十倍になってしまいました。これが、衣食が不足しがちになってきた原因なのです。

そうであれば、現代の民衆は農業技術をよく学び、農業生産に力を尽くさなければ、飢饉や寒さで災難を被る事でしょう。

私は長らく民衆の生活に溶け込んで、農民が毎日仕事に精を出しているのを観察して来ましたが、その農業技術は稚拙で、そのやり方は基本を守っていないことが非常に多いことに気がつきました。

そうであるから、苦労ばかり多く、いろいろ努力しつつ農業をやっているのにも関わらず、効果が上がらず、ややもすると、実りの秋に、収穫量が思ったほど得られないということもしばしばなのです。

その原因は、土地柄が悪いとか、努力が足りないということではないのです。

ただ一つの原因、つまり農業技術を知らないで、農作物を育てる技術がわかっていないということなのです。

これは本当に悲しいことで、残念なことです。

だいたいが、この世の事は、必ず物事の本質と、自己の経験に基づいて、その上で努力を重ねなければ、決して成功はあり得ないのです。

それだから、まずよく農業の技術を知って、それから農業の実践に励むべきなのです。

それに、安定した生産が成し遂げられなければ、安定した心の余裕も生まれません。農業生産量が安定してこそ、社会生活の秩序も保たれるのが道理ですから、農民が農業生産の技術をよく知って、五穀豊穣、生活の安定が築けて、自分の生活に満足することができれば、人々が奪い合いをするような貪る心も無くなって、社会秩序も安定し、人々も自然に心清らかに、恥を知る心も生まれ、人情も素直で、お互いに和の心で付き合うようになり、一生を安楽に暮らすようになるだろうことは、毎日の暮らしの中で明らかになり、年々歳々、日本社会は豊かさを実感できるようになるでしょう。

(つづく)

第二回

農業全書自序(つづき)

そもそも日本という地は、南北の中央に位置する温暖な気候に恵まれているではありませんか。

陰陽の気が正しく働き、寒暑も文字通り適当であり、極端に厳しい天災や地の禍もなく、平原が多いので、稲や麦などを育てる土地も広いです。

國土は優れていて、土地も肥えているので、あらゆる種類の植物類は、すべて成長できないなどというものはありません。支那大陸の中原地方を除いては、ほかにこのようなすばらしい国はないと聞いています。

歐陽子(不明)という歌人(?)歌った日本の刀の歌の中で、日本は「土壌沃饒、風俗好し」と称賛したのも、頷けます。

なので、諸々の穀物は言うに及ばず、あらゆる、人間に有用な果物、草木、薬草に至るまで、日本人を助ける品々は、其種を保存し、それに相応しい育て方をすれば、衣食や住まいには宝物となり、すべて生活に利用できるものとなるでしょう。

さまざまな薬草の類も日本にはあって、まだ、利用していないものも多いのです。また、知られているものでも、その土地その土地に相応しく育てないで、またその育て方の方法も知らず、出来上がるものはよくないものも多いのです。

日本に自生している植物をよく研究し、その栽培法も適切に施し、土地土地に適応した栽培法を適用すれば、日本に存在していない龍麝沈丁等の数種類を除けば、すべて外国に求めなくても、日本人の生活に事欠くことはないのです。

それなのに、昔から、毎年支那へ貿易船を出して、無益なものまでも交易品として取引し、日本人は栽培方法を知らないというだけで、日本の国土の利点を失っているのです。

これは、外国との場合だけに限らず、日本本土の各地方にも同じことが言えるのです。それぞれが我が国に合った栽培法をよく研究し、実践して、その地方で産出される物を育て、利用するれば、日本の宝を外国に売り渡して、外国の物を買い求めるなどということに、利点はありません。

私は村や里に暮らすことすでに四十年、自己研鑽に励み、労働し、農事を営んで、色々試験的に試してみて、得たことは多いのです。

それゆえに、いつも農民が植物の栽培方法に疎いことを悲しんできましたし、自分が愚か者であるということも、脇において、このような農術の本を著して、民衆と共に、自分の研究成果を実践して、支那の農業技術書も参考にし、日本の土地に合った技術を、農民の努力の助けとなることを選んで、ある時は近畿、京都方面を研究のために旅行して、多くの地元の農家を訪ね歩いて、この書をしたため、十巻とし、『農業全書』と名付けました。

しかし、もともと著作の才能はないので、いろいろ誤りもあり、また狭い見解も含まれていることでしょう。

また、その本質や道理についてもお粗末なこと、つまらない誤りも多いのではないかと恐れています。

農事総論
耕作 第一
さて農人が耕作をするということ、この理りを深く考えてみたい。稲は農人が生み出したものではない。それを生み出したのは天である。そしてこれを成長させるものは地である。
人間というものは、その天地の間にあって、天の気に合わせ、土の力を借り、ただその時期を図って耕作に努めているだけだ。そうは言っても、もし農人のこの勤めがなかったならば、如何に天地といえども、稲をこのように健やかに成長させることはできないのである。そういうわけだから、大昔の偉大な王様から後代の賢い君主までが、特に日本においては天皇自らが大臣を率いて、春の始めに、田んぼに降りて、農具をお手にして田を鋤き初めなさるということをしてきたのである。これを「籍田」と言って、政治の初めとなさってこられたのだ。これは古くからの賢君や頭脳明晰な統治者は農業を重んじて、政事の根本をお勤めなさるという考えに基づいてのことなのである。この「籍田」の行事のあとに、天下の農人は春の耕作を始めたと言われている。天はあらゆるものを生み出したが、人間よりも尊いものはない。人間が尊いというその意味は、つまり天の心を承けて、天下の万物を恵み養う心を自然に備えているからなのである。このようなわけであるから、人間の社会にあっては、耕作こそ優れた仕事であり、人間が勤めるべきは植物の成長を手助けすることなのである。植物の成長を助けることの第一に耕作というものがあって、それを根本に据えるべきである。これはすなわち堯舜が行った政そのものなのである。どんな有益な植物もすべてはこの耕作するということから生じるものである。だからこそ、農業道に期待されるものは極めて重要なのである。そうであれば貴い者もそうでない者も、ともにこの理りを深く悟ってひたすら農業の重要性を考えて、決して等閑にしてはならない。また一人の農人が田を耕し、十人の食糧を賄うことができるということを考えれば、農業をする者はそのことを肝に銘じて励むべきなのである。そもそも耕作する者には多くの知っておかなくてはならないことがある。
まず第一には、農人たる者は、おのれの能力をよく考えて田畠を作らなくてはならない。各々がその自分の能力を超えない程度が良いのであって、自分の能力以上のことをしようとすることは、甚だ良くないことである。

その次に、耕作地は一年ごとに替えて、土を休めると良い。しかし、土地にそのような余分がない場合は、耕作物を替えて作りなさい。場所によっては、水田を一年から二年も畑として、作物を育てると、土の気が転じて、生育にふさわしいものとなり、雑草も生えず、害虫も寄らず、収穫も倍にもなる。概して、水田を畑にした土地は、作物がよく成長するものである。であるから、その地に合った、値段の高い畑作ものを育て、多くの利益を得る。そうして畑作物を育てて、今度はその土の気が弱った時には、またもとの水田にして、稲を作れば、これまた一年、二年と土地の気が変わって大いに収穫が上がるものである。しかしこれらは、経済力があって土地も多く持っている農夫が取るやり方である。一般的に言って、育てる作物を替えるというようなことをすることは陽の気が増え、また同じものを作り続けると陰の気が多くなる。その陰陽の原理というものは奥深いもので、一概に理解することはできないものであるが、作物を育て、注意深く見守れば、案外にその原理はわかるものである。農人はこのことを知らなければならない。その原理を弁えないで耕作するということは、苦労ばかりが多く、利潤は少ない。
まず土が湿っているものは陰である。乾いているのは陽である。粘って固まっているのは陰である。脆くさっぱりしているのは陽である。軽く、柔らかすぎているような浮いた泥のようなものは陰である。重くて強くバラバラになるようの土は陽である。こうしたことを、全体的によく観察して土地の心を知らなければならないのである。一時的にも陰気が陽気に勝らないように理性的に判断して、陰陽の気の調和を図ること、これを一意専心に努めなければならない。たとえば、晴れた日に耕して土が白く乾き固まってしまったような時、雨ののちに植えると、作物は日光と風に当たり、中は白く乾いて育つというように、これは全て内に陽気を蓄えて、表面には潤いを保っている、というように、これを陰陽が和順(素直で穏やかに)していると言われるのである。農人はこのような原理をよく弁えて、耕し栽培する作物ごとに、すべて陰陽を調整して、天地の徳(恵み・働き)を助けるという考え方で耕作しなければならないのである。

その一方では、農業を営む上での一つのポイントとして、使用人と牛馬の扱いである。使用人と牛馬の良し悪しによって、作物の出来、不出来が大いに変わってくるので、少しでも使用人を使って耕作の助けとしようとする者は、情愛こまやかに接して、恵み慈しむことを第一と心がけ、正直に誠実を接することを根本とし、良いことは良い、悪いことは悪いとはっきりさせて、それに基づいて賞罰もきっちりと示して、常に和やかに明るく接して仕事をさせれば、使用人本人もやる気を出すし、苦労を厭わずに一生懸命に仕事をするようになるので、農作業も捗るし、五穀の生育も順調に、よく成長して収穫も増えるのである。こういうことは「和気(
和やかで睦まじい気分)を感招する」と云って、ちょうど天地の働きを自ら人間の心のうちに招き祈ることなのである。

また古い言葉にもあるように「一年の計画は春に耕作するときに始まり、一日の計画は朝、雄鶏が鳴くときに始まる」のであるから、日の出前に起きて、早朝の陽の気が充満している時から田畑に出て働くのである。また、翌日の仕事のことを前の晩から考えておいて、暁と共に起きて、天気具合をよく観察して、その日の手順を決めていくのである。
こうしたことは、何も農事に限らないが、とりわけ百姓はいろいろな仕事をこなさなければならないのであるから、諸々の仕事の軽重と順番をよく考えて、急ぐ仕事、(一語不明)とを優先し、一つ一つを慎重に考えて、その準備をすべきである。牛馬や農具、あるいは肥やしなどの蓄えにいたるまでも、余分に整備しておいて、その時々の必要に応じて使用できるようにしておかなくてはならない。牛馬の力が弱く、農具の具合が悪いようだと、いくら農人が精を出したところで仕事の成果は上がらない者である。多少の出費を惜しまないで、しっかりした道具を用意して、思う存分に働くべきなのである。そうすれば、気持ちよく仕事ができるし、思いのほか仕事も捗り、土地自体も良くなるものである。
(つづく)

第一巻第六
糞(こゑ)

田畠には良し悪しというものがあります。
土には肥えた土と石が多く、地味のやせている土とがあります。
悪く痩せた田畠に糞(こえ)を与えることは農事の第一にやるべき事です。
悪い田んぼを良い田んぼにし、痩せた畑を肥えた畑とするには、糞の力を借りなくては不可能な事です。
昔は人口も少なくて、田畠になるような土地はいっぱいあったので、年々田畠を替え、又は二、三年くらいは田畠を休めて耕作することもできたので、糞を与えなくても良く実り、人々を養うことができたのです。
しかし、近世になってからは人口も増えかつ食糧の消費量も限りなく増えてきたので、年々土地を替え、土地を休ませておくようなことも、もちろん出来なくなり、農業生産も年中休みなく行い、休耕することもなくなったので、土地の力が衰え弱って、植物が芽を出す力も弱くなったので、糞を良く与えて土の力を助けてやって、その力を旺盛にしなくてはどうなるか、秋の収穫も思うようにはなりません。
このようなわけなので、天地の化育を助ける肥えた土(糞壤)を集めて蓄えておく計画をしっかりと立てなくてはならないのです。すべからく農家を営もうとする者は、秋の耕作の終わりにはわら、ぬかは勿論枯れ草などに至るまでも、ありとあらゆる肥やしとなるようなものを一箇所に集めておいて、毎日牛や馬の小屋に敷いて、踏ませ、いい加減に溜まったてきたら脇に準備しておいた糞小屋に移して置いておかなくてはなりません(農人はできる限り糞小屋を整備しておかなくてはなりません。糞小屋がなくては糞を多く蓄えておく事はできません)。

糞小屋ですが、雨や風に晒されないように注意して、糞を段々とうずたかく積みおいて、牛や馬を数多く飼っている農家は小山のように積んでおきましょう。春になれば、一頭の牛馬が踏み込んだ糞で田んぼ五反歩は賄えることでしょう。このようにまずそれぞれの農家ごとに必ず蓄えておくようにしなければなりません。
また、田畠を肥えた土地にする糞の種類としては
苗糞(なえごえ)
草糞(くさごえ)
灰糞(はいごえ)
泥糞(どろごえ)
の四種類があります。
第一の苗糞というのは、緑豆が一番ふさわしく、小豆や胡麻はその次に良いものです。大豆やそら豆も良いです。
その年の五、六月頃に(新暦五月末から七月下旬)厚く蒔いて、いい具合に伸びてきたものを七、八月(新暦八月上旬から十月初旬)鋤き返して、そのまま田んぼの土と混ぜ、次の年の春、穀物の田とすれば、二年かけて田んぼの土作りをした甲斐があり、濃い糞を鋤き込むよりもはるかに効果がありま(このやり方は、主に痩せ地で、稲作を一年おきにするようなところでのやり方です。この通りのやり方でなくとも、このような心がけが大切です)。
次の草糞というのは、草木が茂り伸びきった時に、それを刈り倒して、屋敷のうちや、あるいは、刈り倒したあたりに、火の当たる場所に、かなり多く積み重ねて、雨に当たらないように覆いをかけて、蒸し、腐ってきたものを、細かく切り刻んで、大便や小便を掛けてやり、日に当てて乾かして蓄えて置き、畑作をするときの元肥にすると大変良いです。尤も種子に合せて蒔くも良し。これは粘土質の土や、硬い土に施すととりわけ好結果をもたらします。初めから終わりまで良い効果を表します。 

また、火糞(かふん)と言うのは、色々なものを積み重ねて蒸し焼きにして、その灰を濃い糞と混ぜ合わせれば、麦やその他のどんな作物に用いても、虫が寄らなくなり、大変効果的でいいものです。もし此から田んぼを作ろうとするようなところに使用すれば、深い田んぼ、どろどろの田んぼに利用するととりわけ効果を発揮します。小麦を蒔くときに種とともに施してやると他に並ぶものがないほど効果があります。色々な野菜類を植えるときは、必ずこの焼き糞を使用しましょう。とりわけ湿気たところには特に良いです。ことにこの火糞(かふん)は、ものの出来を早める効果があります。また庭の隅でも、水の便の良いところに湯釜を作って、毎日の掃除で出る塵や芥の類いや、そのほかあらゆるものをかき集めて、また外の仕事に出る人は、いつも草の切れ端でもなんでも、目につくものを持ち帰り、枯らしてからこの釜で常時焼いておけば、熱湯も常に色々なことに利用できるし、その灰や焦げ土はいくらでもできる良い糞となるでしょう。
沐浴した後のお湯や洗濯の濁水を、すべて糞尿と合わせて水糞(みずごえ)としましょう。一般的に畑作ものに肥やしを施していても、その時々に合わせて湿り気を与えなければ、日照りに会えば、陰陽で言う陽の気のみになってしまって、土地が乾きすぎて、此から成長しようという時に萎れていまい、今までの努力が無駄になってしまう。そのようなときのために、水糞を多く蓄えておき、タイミングに合わせて陰の気を土に与えなければならない。
水糞と焼き糞の二種類は第一に陰陽を調整するためにもっぱら施すものと心得ておかなくてはなりません。物が太り栄える(新月から満月までの栄養成長期)ということは陰の気の潤いによる。またその実り(満月から次の新月までの生殖成長期)は陽の気の力によるものであることを知っておかなくてはなりません。
(つづく)

(つづき)
また泥糞(どろごえ)というのは、池や川や側溝などに溜まった肥えた底の泥を浚って、よく乾かして砕き、糞屋に保管し、時間が経ってから人糞や灰などとよく混ぜ合わせる。または出来たばかりの熱を保っている糞と混ぜ合わせて使うと非常に効果があります。
此れ糞を用ゆれど菜の類其外作り物に癖のつくをなく吹き込みの所に用ゆべし。(現代語訳不能)
ものが蒸したような気配を解いて、さわやかにし、どんなものに用いても無難な糞となります。
また草糞というものは、山野の若い柴や草を「ほとろ」とか「かしき」とかいうのですが、これを取ってきて牛や馬の小屋に敷いて、または、積み重ねて腐らし、また、そのまま田畑に多く鋤き込めば、とりわけ効果があります。
特に、田畑の土質が柔らかくなり、ずっと効果があります。
栄養成長期の盛んな時?(さるむなる時)の若草なので、その若草の陽の気でもって五穀または野菜の成長を助けてよく成長するのも道理です。
またこのほか、腐って破れたものや汚いもの、さらには濁り水や沐浴したあとの垢汚れの水などに至るまで、すべて肥桶に貯めておいて、腐ってから使うと良い。そして、水糞を入れておくには、桶を使うと良い。甕のようなものは、原形を失ってしまって、糞としての効果は薄れてしまう。
また、水糞の類を野菜にしようする時には、薄い葉物野菜には小雨の時に施すと良い。通常は雨の日に施肥すると糞の効果が弱まってしまうので、晴天の時に施すべきです。

水糞は甚だ効果があります。
また、魚や鳥獣の類で、腐って爛れたものを糞にしても効果があります。もしなかなか腐らないものや、あるいは寒い時でも早く腐らそうと思えば、その桶にニラを一握り揉んで入れると、翌日には腐ってしまいます。
外に置く糞桶は、雨が当たらないようによく覆いをしておくと良いものです。そして、南向きで、よく日の当たる場所におくと良いのです。
また、湿気が多く、水が冷たく、底冷えするような田んぼや山の中で日当たりの悪い田んぼなどには、もし手に入るならば牡蠣の類の貝殻を焼いて灰にして、焼き糞と混ぜて使用すると非常に効果があります。
また山の中の田んぼで水が冷たく稲の成長を阻害しているような所では、その場所場所に合わせて、日が当たるような山の腰部に溝を掘って、田んぼから離れたところから堀を切って、なるべく長く日にあたるような水路を作り、田んぼに入るまで堀の水を日に当てて暖まらせると稲の冷え痛みというものは防ぐことができます。その溝の脇の草木をよく刈り払って、水に日がよく当たるようにします。翌日に当たった水はそれだけで糞となるものです。
またただの水も屋内に組み入れて百日も置いておけばそれだけで糞になります。
また土でさえ屋内に運び込んで、雨つゆに当てないでおくと、それも糞となります。
また上等な糞というものは、胡麻や蕪の油糟、木綿の実の油粕、または干しイワシや鯨の煎じた粕や同じく骨の油糟、人糞など、ともかくできるだけ蓄え、あるいは粉にし、あるいは水糞と混ぜて腐らせておき、それぞれの土地や作物に合わせて施すと良いのです。
黒土や赤土の場合には、油糟が特別に合います。砂地であれば、イワシがよく効きます。湿気で粘りやすい土には、木綿の実の油糟がよく効きます。
上等な糞は田畑に限らず、どんなものに施しても良いものですが、土の性質をよく見極めて、使用したほうが良いです。

よくよく考えて使用しましょう。
さて、黒土というものは、固まりにならず、十分に肥えたものは、本当に美しい土というものです。しかし、あまりにも肥えすぎて、ときどき作物の実りが少ないこともあります。こうした場合は、川砂などを混ぜて、さっぱりとした土にすると良いものです。
痩せた土というものは、まことに悪いものですが、糞を施して手入れをしっかりとやって、土を培えば、作物の苗はしっかりと育ち、実りもよく収穫できるものです。
土の性質はそれぞれ良し悪しがあるとはいえ、技術を用いてその土地によく合う肥やしを施してやると、必ず良い結果が生まれます。これを「田家(田舎の家)に糞薬」というのですが、まさに糞を施す技術は医術と似ています。土地には、痩せた土地、肥えすぎた土地、冷え気味の土地、乾き気味の土地とさまざまあります。糞にも足りないものを補ったり、余分なものを取り去ったり、冷たいもの、温かいものとさまざまの役割があります。土の性質が弱く痩せた土地には鰯の油糟や人糞などのその土地に必要なものを補うようなものを使用します。また、土地が肥えすぎている場合は、川砂や泥をよく干してから、細かくして使用します。また白砂を入れても土気が強すぎる欠点を補うことができます。
また、湿気や底冷えがするような土地には灰や焼き糞などを入れて温めると良いものです。

また南向きで一日中日当たりの良い所など、また潤いがなく土が乾いて陽気がちな所には水糞を用いて陰の気を補うと良いのです。 
また、生きるものを支える肥えた土を作る糞壌を蓄えておくことも、まさに医者が薬種を保管しておくことと同じことが言えるのです。雨風や湿気をしっかり防ぎ、日当たりの良い所に糞を貯める小屋を建て、軒を低くして、内側には堀瓦を敷く、あるいは石畳を敷いて灰糞の類を入れ、その一方には桶を埋めて水糞を貯めておき、それぞれ適当な所に使えるようにしておきましょう。それはまるで優れた医者がどんなものも捨てずに集めて蓄えておき、それぞれ処方に応じて病を治すことと同じで、優れた農夫もまた、泥や塵芥などどんな糞も集めておいて、それぞれの土地の性質に従ってそれを残さず用いることなのです。ともかく、農民が糞や灰を大切にすることは、あたかも米を大切にするように大切に扱わなければなりません。こうすれば、豊かにならないはずはないのです。財産や穀物が多く取れるか否かは、このように糞を蓄えておくことにあるということを肝に銘じるべきなのです。
また昔の言葉にも「上農夫は糞を惜しむ事黄金をおしむがごとし」とあります。また油糟や鰯などの糞を蓄えておき、色々な雑糞と調合して使用するとその効果は大変大きいものです。もっとも上等な糞ばかりを使用すればその効果は大きく、即効性もあるのですが、場所場所によりあるいはその作物によっては、消費地から遠い場所で諸々の野菜や穀物の値段が安いものや、または多く採れすぎて農夫が処理しきれずにいい加減に扱うしかないものに、大切な糞を使っていては却って作り損で利潤も少ないので、それぞれが工夫を重ねて雑糞を多く蓄えておき上等な糞を少しずつ合わせて使用するようにしましょう。こうしたことは、医者が人参や甘草などの良薬を少し加えて、その他の薬を引き立つようにするのと同じことなのです。また糞も薬剤と同じことで、一種類だけでは効果がないのです。色々の種類を取り合わせて良く熟させてから使用することが肝心なのです。糞に限っては新しいものは効果がなく、寝させ良く腐らして熟してから使用する、この加減をよく学んで熟した時に使用するとその効果は高くなります。ただし、あまり熟しすぎて陽気が抜けてしまっては、却ってまた効果は無くなります。

また田畑に糞を施すことは、例えば和物を作るようなものなのです。それぞれ和える材料の相性がよくないと味わいが整わないものです。肥やしもまさにそれと同じで、土と糞とをむらなく良く混ぜなければ効果は薄く、あるいは虫気などの病害も発生するなど、すべては肥やしの加減が悪く、よく混ざっていない、または土のこしらえが悪いなどが原因となるものです。ですから、土地は深く耕すほど利益が上がるとはいえ、糞が少ないところで底の苦い土を深く耕すことは、ちょうど和物そのものが多くても、それに合わせる素材が少ないということと同じなのです。
これらの理屈をよく弁えて、糞をうまく使う方法を、優れた医者が薬をどのように用いるのかをよく研究し学んで、農業に励めば間違いのない利益を得られることは疑いがないのです。先にも述べた通り、医者が薬種を吟味して大切に保管しておき、それぞれの病に合った薬を使うように、農民も念を入れて研究し、肥やしを多く集めておいて作物により、またその土地によりタイミングを考えて絶好のタイミングで使用すれば、収穫することはあたかも自分の倉からものを持ってくるかのようであることは疑いありません。

これまでに述べてきたことは、田舎暮らしの百姓が行うことの中でも極めて卑しいことのように見えることなので、これらの理りを知らない者から見ると極めて卑しいことと蔑むかもしれないが、五穀が思うように収穫できないような痩せ地がたちまちにしてみのり豊かな土地になり、少なく植えて多く収穫できるようになることは明らかなのです。
そのようなわけですから、天地自然が万物を産み育てることの一端を担い百穀をこの社会に充満させ、全ての人々の成長に寄与するには、農業のうちでもとりわけこの「糞壌を調ずる(肥えた土地を生み出す)」ということが大切なことなのです。だから心ある農夫はこの理りを深く思い、これに心を留め眼を向けて、よくよくこのことに努力しなければなりません。(これは自分に最も近いところで天然自然が万物を産み育てる力に寄与して、この社会を豊かにすることなのですから、聖人の御心にも叶う技術なのです。心ある人は皆このことを肝に銘じて行わなければならないのです。)