【農事(作事)日誌】 卯月十三日

日出:04:34
南中:11:35
日入:18:36

月出:15:18
南中:21:21
月入:03:15(5月14日)

天気:雨
気温:16℃〜21℃
風:東 2m

作業:(農事・作事)
カモミールの種蒔き
野菜の苗を下のグリーンハウスへ移動

使用具:

資材:

備考:
美浦村役場にヤギの小屋を建築する件で問い合わせに行った。ヤギを飼うこと自体は報告書を県の県南家畜保健衛生所に報告書を提出すれば良いので、問題はなかった。問題は、ヤギ小屋の建築だ。美浦村の都市建設課(どこが都市建設に関係してるんだよ)、は市街化調整区域内では一切まかりならんという態度💦
最終的には県の事務所に行って確認してくれということなので、土浦の県南事務所建築指導課建築グループに足を運んだ。

ヤギさんのおうちを建てることについては、それは建築物ではないので、私たちは関知しませんよ。そこが市街化調整区域であろうとなかろうと、関係ありませんよ。ヤギさんのおうち、上手く建ててね(キョトン)。わざわざ、ご苦労様でした。庶民の自給自足の夢を叶えてね(キョトン)

一体、美浦村の都市建設課のあの絶大な拒否的態度はなんだったんだ?

ここで学んだ教訓は、官僚機構の職位の上下関係だ。下に行くほど、法律や規制を厳しく解釈する。つまり、決して自分達に責任を負わせないために、必要以上に法や規制を厳しく規制して、人の手足を縛る。上の方は上の方で、自分達の責任回避の動機は同じだが、もう少し、理屈に適っている。許認可を与える権力者は、その許認可の結果を非常に恐れている。許可した以上、その許可によって起こる不測の事態を避けるために、最大限の関心を払う。

最近の北海道知床での観光船の遭難事件でも、許可を与えた部署は、許可を与えるにあたって適切な指導をしていたのかを社会的に問われている。そういうことだ。許可を与えるということは、それに伴って起こる不測の事態の責任を問われる。

「許可を与えたのは適正だったのか?もっと、厳しく指導しなくてもよかったのか?」

こんな法文に基づかない裁量権の拡大解釈に依って立つ社会が、果たして「法治国家」と言えるのだろうか?
法が支配しているのではなく、自分達の責任逃れのための統治、「消極的な人治国家」=「責任逃れの官僚支配」でしかないのではないか。これが、官僚社会の姿の真相のように思えた一日だった。アメリカでリバタリアンが蔓延るのも、官僚社会=連邦国家への反動であろうか?

以上

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